私を育ててくれたシステムたち その2

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このシリーズはソリットコンサルティング代表吉岡大介が
今までのキャリアで携わってきたシステムたちと、その開発を
通して吉岡大介が成長する様を記した実話に基づくものがたりである
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※期間
1998年9月~1999年3月

※システム名
鋼材卸売企業向け基幹システム

※規模・構成
SE5名、PG20名くらい。WindowsNT+Oracle7.3.4、VisualBasic
自社パッケージのカスタマイズ案件

※ポジション
サブSE(DB物理構築、一部PG)

配属後初めての案件。初めてユーザー先に出向く道すがら、プロジェクトマネージャーの直属の上司から「砂とか鉄とか売ってるけどどうやって単価を決めると思う?」と聞かれ、「1kgあたりとか1mあたりですかね?」と答えたら、「そういう想像力がSEにとって一番大事、数えられないものを売ってる会社もある」と、ほめられたのを覚えている。若い頃なんて知識や技術で頭の中がいっぱいなので、何を言うのだろうと不思議に思ったが、今なら私も上司と同じことを言うかもしれない。思いやりとか(^_^;)

パッケージなのでボタンを押したら勝手に実行されて決して知ることのない、データベースの構築スクリプトを全部書き直し、表領域の物理構成やREDOログ構成の指定、ロールバックセグメントの計画、ユーザー権限の設定、DBリンクを使ったサーバー、インスタンスをまたぐテーブル構成を一度に作る物理設計を任された。何度チェックして流してみても途中で意味不明のエラーが連発するのを、全て解決しないと決して大目に見てくれないOracleに悪態をつきながら、DMLよりDDLの方が先に詳しくなった。

ネットワーク設定一つとっても、社内のテスト環境でうまくいくのに客先で失敗するのを、レイヤーの下から順に差異を見つけて検証するやり方は、部長にLANケーブルを抜かれて試された時の手法そのままだった。

物理構築フェーズだったため細かい業務仕様はほとんど覚えていない。自由帳票というDWHのはしりのようなパッケージの新機能のカスタマイズを任され、コードに占めるエラー制御の割合が多く、あちこちの別プロシージャに遷移するプログラムに目を白黒させながらやっとのことで追いかけつつ、やはり製品ともなるとつくりが違うなーと驚いたが、ある外注さんが、オフコンチックなつくりだからだよ、と教えてくれて、意味も分からず感心した。

DBリンクの作り方やオブジェクト命名のコツは今でも身体に染み付いている(Oracleの仕様が変わってるかもだけれど)。SE技術のみならず、議事録の書き方も徹底的に教育され、国語の授業じゃないと歯向かったものの、簡単に言い負かされ、SEだからこそ逆に言葉が重要だと教え込まれた。また、一覧表の作り方も、どの項目をどの順番に配置するかで表の性格や読みやすさが全く変わること、表にすると強制的にマス目がタテとヨコの総当りになるので、自分のロジックの盲点が洗い出せるメリットなどを教えてもらった。

単に耳に入らなかっただけか、さしたるトラブルもなくカットオーバー。打ち上げではしこたまワインを飲んで早々に記憶をなくし、何件目かに行ったキャバクラらしきお店の中で、鏡張りでへんなところと思いつつ、件の上司の膝の上に大量にお酒をこぼしたことは今でも覚えている。

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