私を育ててくれたシステムたち その5

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このシリーズはソリットコンサルティング代表吉岡大介が
今までのキャリアで携わってきたシステムたちと、その開発を
通して吉岡大介が成長する様を記した実話に基づくものがたりである
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※期間   1999年7月~2000年2月

※システム名   DWHプロジェクト

※規模・構成   SE5名(マネージャ1名、主任3名、私) WindowsNT Oracle Brio RedBrick他

※ポジション  営業と同行してのDWH受注支援から受注決定後の構築まで

大塚商会も当時は5000名近く社員を抱えていたが、うちSE職が2000人いたと知る人は少ないかもしれない。客先に出向いて要件・仕様をまとめるSEもいれば、その後方支援として技術的なサポートをする部隊もいて、Oracle(データベース)部隊の分派としてDWHという分野で売り出していこうとする野心あふれるマネージャさんがいた。

今思えば百戦錬磨の客先向けSEがお手伝いするならわかるが、そんな後方支援にペーペーの私がいったところで戦力にならないとおもうのだが、上司からちょっと行って来いと言われ「チワー」とお邪魔することになった。

まずOracleの基本がないと話にならんということで、OracleマスターGoldを取る。次にSEが客先に提案するためのネタ提供と、首尾よく契約に至った時のサポート体制を周知するための社内啓蒙活動に参加、営業顔負けのSEさんたちにDWHってのが流行ってて、細かいことはこっちが全面サポートするのでしっかり提案してくださいと説明して回る。

今でいうとビッグデータのはしりといえなくもない、日頃の何気ないデータの集まりから経営戦略に役立つヒントをビジュアルに見えるようにするその仕掛けは、経営層に受けがよく、話が早い。そういう嗅覚に優れたSEたちはきっちり提案してくれたようで、全国の支店からサポートの依頼が舞い込むようになった。

主任クラスの先輩方は本当に知識が深く、ヘーナルホドーの毎日。一方私は生意気にもお客さん視点からのアドバイスをしたりなど、お互いに得意分野を活かして忙しい毎日を送っていた。時にせっかちな私は出張を一日間違えて大荷物で会社に来て「吉岡くん、どしたのその荷物。お出かけ?」「えーだって出張・・・」「何言ってんの~明日からだよアホー(^_^;)」みたいな和気あいあいとした雰囲気も、大人なまわりがフォローしていただいたおかげで気持ちよく仕事が出来た。

DWHは利用者がデータに強くなり、また、BIツールと呼ばれる、データを動的に組み合わるリテラシーを身につけるところに醍醐味があるのだが、そのあたりがきちんと説明できてないと単なるレポートツールに成り果ててしまい、自由度も何もない定形帳票を何パターンも用意するだけの通常業務システムとなってしまうような落とし穴に苦労したりと勘所をたくさん学ぶことができた。

最終的には都内の案件を自部署にそのまま持って帰る形で卒業することとなったがDWHチームの先輩方は転職するときもまっさきにご報告するなどその後のつながりが何よりも財産だと思う。お客様向けのSEはフィールドSEと呼ばれるが、フィールドSEでは大きな案件になると論理設計と呼ばれるどういう項目をどういう形で持たせるか、と開発時のSQLと呼ばれるデータ操作の言語に偏ってしまう傾向にあると思うが、物理設計であったり、構築・運用・チューニングといった、システム開発を通してデータベース技術者が果たすべき役割や、その方面に強いと、システム開発全体にどういうメリットがあるのかをしることができ、積極的にかかわってデータベース技術者の立場でシステムをよりよくする現在のスタイルの基礎となったことは大きい。

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